埼⽟県川越市。集落や町並みを貴重な財産とする「重要伝統的建造物群保存地区」です。この地区の⼀画に⼤正2年に建てられた中成堂⻭科医院(旧中野⻭科医院)はあります。
当時の川越でも珍しい洋⾵建築で、2002年2⽉に建築の⼟台をそのままに、外装、内装ともにリニューアルしました。歴史ある部分を残しながらも、古めかしいイメージを⼀掃し、最新の治療設備と衛⽣環境を整えています。
当医院は⼤正時代から⻭科医院を始めたものの、現院⻑の祖⽗である中野清の次代として引き継ぐはずだった中野克明が東京医科⻭科⼤学在学中に亡くなってしまったため、30年近い休⽌期間をおいてから現院⻑が再スタートを切りました。
当医院は⼤正2年に建てられた洋⾵建築で、⽊造⼆階建て延べ135平⽅メートル。外壁はイギリス下⾒と呼ばれる⽅法で下⾒板を張り合わせ、⽊造の軽快さが端的に表現されています。屋根は天然の⽯板(スレート)でふき、1階の窓は両開き窓、2階は上げ下げ窓です。
2001年に川越市教育委員会の伝統的建造物指定を受け、全⾯改修されました。
2002年には「時代を映した医院建築」 として”かわごえ都市景観デザイン賞”を受賞しました。川越には、蔵づくりをはじめ明治・⼤正時代の⾯影を残す町並みや、⼩江⼾の情緒を楽しみに多くの観光客が訪れますが、当院のたたずまいもそうした観光スポットの1つとして親しまれています。
平成21年4⽉ ANNEX(別館)を増築 より質の⾼い医療環境が整いました。
平成22年7⽉ 医療法⼈社団中成堂⻭科医院になりました。
⻭科医院兼住居として建てられる。
建築主は埼⽟県⻭科医師会会⻑を務めた⽬⿊寅三郎さんという⻭科医師です。翌年の1914年に⻭科医院として開院。
大正3年、連雀町480番地に歯科医院を開院。
⽬⿊寅三郎さんに跡取りがなく、先代 中野 清が建物を譲り受け1931年に「中野⻭科医院」として開院。現院長の祖父である中野清の次代として引き継ぐはずだった中野克明が、東京医科⻭科⼤学在学中に亡くなってしまったため1975年以降、30年の休⽌期間となる。
川越市教育委員会の伝統的建造物指定を受け、全⾯改修されました。
約30年の休⽌期間を経て、現院⻑ 中野⽂夫が「中成堂⻭科医院」として開業し、再スタートを切る。「時代を映した医院建築」 として”かわごえ都市景観デザイン賞”を受賞しました。
ANNEX(別館)を増築し、より質の高い医療環境が整いました。
庭園を眺めながら予防と治療が受けられる、癒しの診療空間。
医療法⼈社団中成堂⻭科医院になりました。
外壁をピンク⾊に塗装
院⻑ 中野⽂夫が川越市歯科医師会会長
当院は⻭科診療機器等について⼗分な感染症対策を講じており、
その届出(⻭科外来診療環境体制加算)医療機関です。
DACユニバーサル
滅菌機
クラスB滅菌機
Airdog X5s
スタッフ⼀同、みなさまや医院スタッフの安全を第⼀とし尽⼒いたします。
ご協⼒のほど、宜しくお願いいたします。